艦これSS「神通の憂鬱」
「で?どーなのよ、提督は」
唐突な川内の問い。その意図が掴めず、神通は困惑した。
「あの川内姉さま、何のことですか?」
「決まってるでしょ、夜戦よ、夜戦。提督としたんでしょ?」
血液が沸騰したかと思うほど、顔が熱くなった。
「川内姉さま、あの」
「いいじゃん、別に。みんな知ってることだし、減るもんじゃないんだしさ」
「あー、那珂ちゃんも聞きたいー」
寝台に寝転がっていた那珂が起き上がった。
妹の好奇心に満ちた眼差しから逃れられず、神通は一生懸命に言葉を探った。
「えと、初めは手で触られて」
「ふむふむ。で?」
「それから、あの、ごめんなさい。後は、頭が白くなって、あんまり覚えてないの」
「えー、なにそれー」
川内がつまらなそうに唇を尖らせる。
「だって、私、ああいうの初めてだったんだもの」
「まぁ、そりゃそうだけどさ。それにしても神通が提督と、ねぇ」
「変、かしら?」
「変っていうか、私はそこまで提督に魅力を感じてないからなぁ。
ちょっと頼りないじゃん?もっとしゃきっとして欲しいんだよね。那珂は?」
「んー、私は好きでも嫌いでもないかなぁ。あんまり話したこともなかったし」
「ふーん」
「それに、那珂ちゃんは皆のアイドルだもん。誰か一人のものにはなれないよ」
胸を張って言う那珂に川内と神通は苦笑した。
「んで?神通は提督のどの辺に惹かれたの?」
「それは、その、優しい所、が」
「優しい?」
「時々、ね、声を掛けてくれるの。大丈夫か、って。それが私、嬉しくって」
なんとか絞り出すように答えると、なぜか、川内と那珂は顔を見合わせた。
「え、それだけ?」
「え?」
「いや、まぁ、いいけどさ。そういえば、指輪は?」
「あの、そこに」
神通は自分の机を指さした。
机の引き出しにはシンプルなデザインの指輪がしまってある。
契りを交わした夜、提督から手渡されたものだ。
「はめないの、指輪?」
「その、誰かに見られると恥ずかしい、ですし」
「ふーん」
不思議そうな表情を浮かべる川内。
――それに、提督が好きな人は別にいるから。
内心で呟きながら、神通は苦笑いを浮かべた。
神通の憂鬱
真夜中の海。
暗闇の中、波頭を掻き立てながら、艦娘達が高速で駆け回っている。
その姿を神通は目を細めて、じっと注視していた。
時折、自分の肌をさすりながらも、目で追い続ける。
夜間無灯火演習である。
相手の姿を見つけるのは勿論、自分と味方の位置を把握する必要もある。
衝突事故の危険性は高いが、艦娘にとって夜目を鍛えることは大事なことだ。
水雷戦隊の真骨頂は夜戦だ。
その軽快さを活かし、闇夜に紛れて接近し、至近距離から敵の巨艦に魚雷を叩き込む。
昼間と違い、遠距離から敵の艦載機に捕捉されることなく、移動できるという強みもある。
かつての戦争では、レーダーを搭載した米軍の精密射撃により、接近することすらままならなかったが、深海棲艦との戦いでは有効な戦術の一つだ。
目前で駆け回っているのは二組の水雷戦隊だ。
一方を阿賀野、もう一方を矢矧が率いている。
二組とも一応の動きを身に着けてはいる。
きちんと陣形を変えながら動くことができてはいる。
それでも、実際にぶつかり合うと陣形は乱れ、立て直すまでに時間が掛かっている。
「もう一度」
神通の指示に従い、再び訓練が開始された。
合図と同時に六名の戦隊が分散し、一人、二人、三人、そして再び一塊となる。
一連の動きを砲火に晒されながら、一糸の乱れもなく達成できなければ戦場では命取りになりかねない。
「もう一度」
神通の言葉に阿賀野が泣きそうな表情を浮かべる。
矢矧も我慢するように歯を食いしばっているが、一顧だにしなかった。
苦しくても、二人は黙って耐え続けている。
かつての戦争を体験した艦娘には、実戦における練度の重要さが分かっているのだ。
『幾ら非難攻撃を受けようとも構わん。
アメリカに勝つために訓練はますますやらねばならない』
かつて、そんな言葉を聞いたことがある。
まだ、神通が艦娘ではなく、艦艇として存在していたころのことだ。
夜間の無灯訓練中、神通は駆逐艦の蕨と激突するという大事故を起こしていた。
蕨は沈没し、神通も艦首をごっそりとえぐり取られた。殉職者は百二十名にも昇った。
それでも、厳しい訓練は必要なのだと思う。
物資も生産力も乏しい、云わば持たざる者が持つ者と相対せねばならない時、同じ条件で戦って勝てる訳がないのだ。
かつての戦争における敗因は幾つもある。
そもそも勝ち目の薄い戦いを始めたことが間違っていたのかもしれない。
だからと言って、勝つための努力を放棄してよいという理由にはならない。
あの戦争が始まる前から、日本軍の兵士達が厳しい訓練を続けてきた姿を、そして戦いの中で激しく戦い散っていた姿を神通はその傍らで見続けてきたのだ。
あの戦いぶりまで間違いだったなどと神通には思えない。
神通はさっと直属の水雷戦隊を率いて動き出した。
これも訓練の一環だ。奇襲に即座に対応するためで、阿賀野と矢矧は連携して迎え撃つことになる。
神通は二隊の連携の隙を見つけると、即座に分断し、蹴散らした。
「本日の訓練を終了します。皆さん、今日の戦いを振り返ることを忘れないでくださいね」
神通の言葉に皆、力なく応じる。
疲れ切ってはいるが、無事に訓練が終わったことで安堵の表情を浮かべている者が多い。
鎮守府に帰還した神通は基地内の浴場で汗を流した。
浴槽の角で温まりながらも、頭の中では一つの情景が思い浮かび、思わずため息を漏らしてしまう。
「どうした、悩み事か?」
「長門さん」
長門は神通の隣に腰を下ろした。
艶のある長い黒髪を結っているためか、普段と少し違う印象を受ける。
「私でよければ話を聞くが」
「あ、いえ、あの。水雷戦隊の調練があまり進んでいないので、つい」
「まぁ、新たに配備された艦娘だと練度で劣るのは止むをえんな。こればかりは時間を置いて鍛え上げていくしかあるまい」
「そうですね」
神通は微笑を浮かべた。内心では動揺を表に出さないように必死だった。
時折、脳裏に浮かぶ情景がある。
契りを交わした夜。暗闇の中で提督と肌を合わせていた時の情景だ。
初めは、寝台に横になっていた時だ。
暗闇の中で提督と交わっている自分の姿が思い浮かび、ドキッとした。
その夜は寝付くまでにかなりの時間がかかったものだ。
それからも時々、情景が想い浮かぶようになった。
流石に軍務に集中している時にはないが、ふと気を緩めた時など頭に湧いてきて、体が火照ってくる。
それに、提督が扶桑と一緒にいると少し胸が締め付けられるような気もする。
長門はどうなのだろうか。
彼女も自分と同じように提督と契りを交わしているが、そんな素振りは全く見えない。
もしかすると、自分は情欲が強いのかもしれない。
それが凄くふしだらな事に思えて、神通は誰にも悩みを打ち明けられずにいた。
提督から召集が掛かったのは翌日のことだった。
作戦会議室には秘書艦の扶桑を始め、ビスマルクや赤城の姿がある。
神通も隅の席に着座した。
「調査の結果、北方AL方面に敵泊地の存在が判明した。
規模や時期から考えて、AL作戦で撃破した敵の残存戦力と思われる」
「その泊地攻略が今回の目標か?」
長門の問いに、提督は首を横に振った。
「そうしたいのはやまやまだが、今はこちらも物資の消耗が激しい。
追い詰められた敵は決死の構えで防戦してくるだろう。
迂闊に手を出してこちらも大きな損害を被ることは極力、避けたい」
「問題は敵増援の動きがあるということです」
出渠を果たした大淀が捕捉するように言葉を続ける。
「増援部隊と合流して戦力が整ってしまうと、いよいよ同泊地の攻略は至難になります。
この泊地から遊撃部隊が出てくるとなると、今後、我々は常にその対応にかなりの労力を割かれることになるでしょう」
「シーレーンを脅かすことのできる海上戦力の存在はそれだけで脅威だものね。やってくれるわ」
ビスマルクが忌々しげに呟く。
かつて、海戦能力で劣るドイツ海軍は正面からの艦隊戦ではなく、イギリスの補給線を乱す通商破壊戦に注力した。
彼女自身は初陣で沈没してしまったが、そのためにイギリス海軍が動員可能な戦力のすべてを投入したという事実がその脅威の度合いを物語っている。
「ビスマルクの言う通りだ。何としても敵増援との合流を許す訳にはいかない。
今回の作戦目標は敵増援部隊を捕捉し、痛撃を与えることにある」
細かい作戦が大淀から説明される。
敵増援の到着予想ルートは泊地の東側。深い霧に紛れて密かに泊地に合流する狙いだろう。
だが、こちらが敵増援を狙っていることに気づかれれば、敵増援は逃走し、逆に泊地の部隊から逆襲を受けることになりかねない。
そこで陽動のために北西側から機動部隊を派遣する。
この部隊が敵機動部隊を引き付けている間に、快速の水雷戦隊を南西から急行させて敵増援主力を電撃的に叩く。
「神通」
提督に呼ばれ、神通の胸は高鳴った。
「水雷戦隊の指揮を任せる。困難な任務だと思うが、頼むぞ」
「はい、お任せください」
「だが、無理はするな。必ず帰ってこい」
「分かりました。必ず」
提督の言葉に神通は力強く頷き返す。
作戦会議からしばらく経った後、二個艦隊が鎮守府から出撃した。
第一艦隊は神通率いる水雷戦隊で、島風をはじめとする精強な駆逐艦で構成されている。
第二艦隊は隼鷹率いる機動部隊で、翔鶴や飛龍ら空母と足柄、羽黒、筑摩といった重巡によって構成されている。
火力よりも回避や対空に重点を置いた編成と言える。
「ま、足回りのいい面子が揃ってるからね。できるだけ長く敵の目を引き付けておくからさ。
頼んだよ、神通」
「任せてください。必ずやり遂げます」
神通がそう答えると、隼鷹がすっと身を寄せて来た。
「で、あれから提督とはやったのかい?」
「な」
思わず身を翻すと、隼鷹はにやりと笑みを浮かべた。
「冗談、冗談。ま、無事に生還できたら教えてよ。酒でも呑みながら、さ」
「そ、そんなこと」
「ははは、じゃあね」
笑いながら駆け去っていく隼鷹。
すぐ隣では、時雨達が吹き出しそうにしているのを堪えていた。
「移動、開始しますよ」
赤面しながら神通は作戦開始地点へと向かった。
作戦開始まであと5分。待機中、神通は左手を見つめた。
その薬指には、机の引き出しにしまってあった指輪がはめられている。
そっと右手を乗せ、目を閉じる。
――参ります。
深呼吸。目を見開いた。
「作戦開始」
神通の号令に応じて、駆逐艦がその後ろに並ぶ。単縦陣だ。
霧の中、目標地点へ向けて快速のまま進んでいく。
電探に反応。まだ目標地点まで距離がある。
おそらく、敵の前衛部隊だろう。相手もこちらの存在に気づいた筈だ。
神通は速度を緩めなかった。敵の前衛部隊と遭遇したが、動きはまだ鈍い。
砲火を一か所に集中し、そのまま突破した。
すぐに第二陣。今度は敵も迎撃態勢を整えていた。
多少の損害は止むを得ないが、直撃弾だけは何としても避けなければならない。
砲火が飛び交い、水柱が乱立する。敵艦隊と交錯しながら、神通達は駆け抜けた。
麾下からの大破の報告はない。神通も何発か至近弾を食らったが、戦闘力は低下していない。
目標地点に出た。
航行中の輸送ワ級が数隻。そこへ砲撃を集中させた。
駆逐艦の10cm連装高角砲が火の雨となって輸送ワ級に突き刺さっていく。
流石に一撃では致命傷にならない。
それでも降り積もる砲火に、一隻の輸送ワ級が炎上し、火達磨となった。
砲撃しながらも神通は嚮導艦を探し続けていた。
一隻、見たことのない人型の深海棲艦が盛んに指示を出している。戦艦にしては小柄だ。
その新型艦に向けて、神通は15.5cm三連装砲を撃った。
それを遮るように一隻の戦艦タ級が慌てて飛び出してくる。
その動きで、嚮導艦が誰か神通には分かった。
神通は一斉攻撃の合図を出した。
神通の後方に島風、時雨、ヴェールヌイが続く。
天津風と夕立はすでに大破したらしく、戦列を離れている。
急接近し、反転する直前、一斉に扇状に魚雷を撃つ。
動きの鈍い戦艦タ級に一本当たるが致命傷にはならない。
もう一隻の新型艦が魚雷を避けるために速度を上げた。
神通が予測したポイントへ新型艦が飛び出してくる。
「油断しましたね」
既に神通の魚雷発射管は自動装填を終えている。
二発目の魚雷は狙い違わず新型艦に直撃し、一撃で破壊した。
*
敵艦隊が算を乱す中、神通達は無事に撤収を完了した。
途中、隼鷹らの第二艦隊と合流した。
誰一人欠けてはいなかったが、誰一人無傷でもなかった。
半数は大破しており、隼鷹もその一人だった。
「まぁ、手酷くやられちまったけどさ。北方棲姫には三式弾を何発も打ち込んでやったからね。
次は負けないよ」
負傷しながらも、そう言って笑い飛ばす隼鷹に神通は感嘆を禁じ得なかった。
帰還した神通は隼鷹に代わって、提督に戦闘結果を報告した。
「よくやってくれた。敵の一部は泊地に合流しただろうが、補給艦がなければ意味は薄い。
あとは、ビスマルク達に任せるとしよう」
「かしこまりました」
「ご苦労だった、神通。いや、神通だけではないが。本当に、ご苦労様」
提督が屈託なく笑う。その笑みを見て、神通は頬が熱くなるのを感じた。
「提督、あの、扶桑さんは」
「ん?あぁ、ちょっと別件で外出しているんだ。今日は大淀に手伝ってもらってるよ」
その大淀も席を外している。提督の執務室で今二人っきりだと気づき、神通は動揺した。
「あの、提督」
「ん?どうした」
「私、その」
何か言うべきではないか。いや、何か言わなければならない。
なのに、言葉が思い浮かばない。伝えたかった言葉があった筈なのに。
頭がぼうっとする。胸が高鳴っていることが痛いほどはっきりと分かる。
「えーっと、神通?」
「あ、はいっ」
「偶には一緒に夕食でもどうかな。今日は一人なんだ」
頭を掻きながら恥ずかしげに言う提督に、神通は笑みを浮かべて頷き返した。